消費者金融

貸金業規制法とは

昭和30年以降、高度経済成長期に入った日本経済はサラリーマンの所得も倍増し、生活も豊になっていきました。そして庶民は更に豊な生活を求めてサラリーマン金融でお金を借りるようになっていきました。

サラリーマン金融はそれまで主流であった担保ローンとは違い、無担保無保証で借りれることから、庶民の間で爆発的なヒットとなっていたのです。

担保に差し出す動産の無い人にとっては、無担保無保証で借りれるサラリーマン金融の存在は画期的な金融商品であり、あくまでも担保に拘る銀行などとは一線を画していたのです。

しかしそんなサラリーマン金融のヒットとは裏腹に、簡単に借りれることから支払いが不能となる消費者も増えていきました。何しろ当時の金利は今とは比較にならないほど高利だったので、利子が利子を生んで借金が雪だるま式になっていたのです。

また、当時は簡単な登録で誰でも貸金業が開設できることから、悪質な金融業者も大手を降って営業していたのも、多重債務者を生んで一つの要因でした。

そんな問題を解消すべく、業務のルールを定めたのが1983年に制定された貸金業規制法です。この法律によって、以下の規制が規せられました。

  • 0金利の規制
  • 0貸付金額の規制
  • 0取り立て行為の規制

上限金利の規制

金利の規制では、これまで109.5%といされていた上限金利が73.0%に引き下げられています。今の視点から見れば、それでもトンデモない金利ですが、当時はこれでも画期的に引き下げられたと賞賛されたのです。

その後、金利は1986年に54.75%、1991年に40.004%、2000年には29.2へと引き下げられていきますが、様々な団体や議員が反対運動を展開したと聞きます。いったいどんな利権が絡んでいるのか知りませんが、多くの消費者が多重債務に苦しんだ挙句に破産や自殺に追い込まれている現状に蓋をして、あくまで自己責任論という論陣を張って抵抗する様には、違和感を感じざるを得ません。

上限金利の時代推移

貸金業法改正

上限金利に反対する面々の主張の一つが、「上限金利を下げたらヤミ金融が増える」という単純なものでした。つまり上限金利を下げれば当然貸金業者の利益は減るので廃業する業者も増え、その結果、借りれなくなった人はヤミ金融に走るという論理です。しかし、そんな論理を根底から覆したのが2006年に施行された貸金業法改正です。

この改正では、貸金業を新規開業するにあたっての審査の厳格化と、取り立て行為の規制強化、違法業者の罰則強化といった項目が盛られており、事実上ヤミ金融を狙い撃ちしたといっても過言ではありません。内容な以下の通りです。

  • 0新規開業をする場合の最低資産・・・現行の300万円から5000万円に引き上げ
  • 0顧客が自殺した場合の生命保険での弁済禁止
  • 0グレーゾーン金利の禁止
  • 0過剰貸付の禁止(年間収入の三分の一を超える新規融資)
  • 0日賦貸金業者、電話担保金融の廃止
  • 0取り立ての規制強化
  • 0上限金利の引き下げ

これまでは貸金業を開業するにあたっては、簡単な手続きで誰でも開業できていたのが実態で、たとえ違法行為をして閉鎖に追い込まれたとしてもすぐに別の名義で開業していました。しかし、改正後は開業資格として総資産が5000万円以上となったことで、そう易々とは個人では開業できなくなってしまいました。

また、違法行為をして閉鎖を余儀なくされた人間に対し、再度営業に至るためのハードルを高くしたことで、違法業者の再参入を事実上排除したことになります。

グレーゾーン金利

改正後の貸金業者の推移

2006年の貸金業法改正後、国内における貸金業者の数は減少の一途をたどりました。グレーゾーン金利が違法認定されたことによる莫大な過払い金請求によって、大手消費者金融であった武富士が倒産に追い込まれたことを見ても、体力の金融業者が生き残れる術がないことは当然のことです。

また、以前なら廃業したとしてもすぐに新しい貸金業者を立ち上げていたものの、改正後の新規開業ルールの厳格化でそれも出来なくなったことも要因の一つといえるでしょう。しかしその一方で大手銀行系列のカードローン会社は莫大な過払い金請求を受けつつも、大資本を背景に廃業した業者のシェアを吸収していきました。

貸金業者の減少統計

銀行局長通達

また、貸金業規制法と並行して、銀行などの金融機関が消費者金融へ資金を融資することを制限する銀行局長通達が発令されました。これにより、急速に融資をしたお金を引き揚げる銀行が続出し、これまで拡大路線であったサラリーマン金融はその足を止めることになったのです。

体力のない消費者金融は倒産の憂き目にあったり、大手であっても店舗の統廃合などをしてスリム化を計ったりして事業の継続につとめたのもこの時期です。当時のことを「消費者金融冬の時代」と呼称されます。